伝統文化 / 正絹着物

自然の植物や伝統ある技法を保持され、今も活動されている老舗店・個人様をご紹介していきます。

苔むした石垣

着物 ― 腰に帯を締める民族衣装

伝統民族衣装の中でも、縄文時代の「衣服の上から腰に帯を巻く形式」は、日本で今も継続されています。日本の気候や風土に適して、さまざまな職人・芸術家・商人たちにより発展してきた着物。蚕・繭による上質な絹(正絹/しょうけん)を生産していきました。

奈良時代の衣服令では右前の着用が定められ、平安時代には「直線裁ち」の技法が成立。芸術性が高まり、色合わせを楽しむ「襲(かさね)の色目」が一つの教養となりました。鎌倉・室町以降は実用的になっていき、安土桃山時代に豪華絢爛な染め文化が発展。江戸時代には帯結びも多様化し、現在の「お太鼓結び」もこの頃に確立されました。

明治以降、西洋文化の影響により官僚や軍人に洋服が義務付けられましたが、正式な場では紋付き袴、黒留袖、振袖などの着物が礼服として着用されました。第一次大戦以降、特に第二次世界大戦時には、豪華な礼服は贅沢ゆえ、染めや金銀糸をおさえた「附下(つけさげ)」を日本人は着用しました。

長い年月の歴史を通し、時代と共に発展し続けるこれら着物は、じつは太古の昔の縄文時代から「腰に帯を締める民族衣装」として、変わらず今も歴史を受け継いでいます。また着物は、日本の伝統民族衣装でありながら「季節感」を表現でき、「礼を尽くす心」や相手への敬意を伝える「所作」をも受け継ぎ、「社会的格式」にも反映されます。

※ 上着の一番上に、腰に帯を締める衣服 = 神聖な意味合いを持ち、心理面にも作用されるようです。

着物・草履・小物 レンタル開始 2027〜

結婚式場様・撮影関係様、若干の黒留袖・色留袖・訪問着・草履類の貸し出しを承ります。貴重な正絹お着物になりますので条件もございますことご了承ください。まずはお問い合わせください。

歳時記

家庭にあった、大切に保管された日本の母や先祖からの“着物”。日本には歳時記があり、妊婦さん7か月戌の日に巻く「帯祝い」に始まり、生まれてすぐの「お宮参り」、「七五三」(3歳・5歳・7歳まで無事に生きられたお祝い。3歳・7歳は女の子に、5歳は袴着を男の子に)、「十三参り」(13歳のお祝い)、成人式の振袖と紋付き袴(20歳)、婚約の結納、結婚式(新郎=紋付き袴、新婦=婚礼衣装、周りのご婦人らは黒留袖)、礼服、ハレの日に着る家紋入り色留袖、訪問着、つけさげ、冬の袷(あわせ)に夏の絽(ろ)や紗(しゃ)、初夏の単衣(ひとえ)……。ドレスコードや季節に合わせ、着ていく場も着物の種類も正絹の生地の種類もすべて異なります。上質な江戸小紋に、今では大島紬の一級品もなかなか手に入らない。それらを、母は娘の結婚にこれらすべての着物を持たせて嫁がせます。

葬送の場に着る「喪服」=黒五つ紋付きは、最高級の黒染めで、最も大切な相手に会う場で着用します(袴と合わせて着るとおめでたくなる。例:授賞式、宝塚歌劇の卒業引退式など)。小道具もすべて黒染めの黒一色を着ますが、嫁入りには(不幸がないように)小道具の一つは欠けて持たせます。わたくしの母も、私と姉たちのためにこの黒紋付(着物、黒帯、小物、冬用黒コート、雨用黒コート、着物冬用・夏用、帯冬用・夏用)を、黒の草履以外すべて揃えて用意してくれていました。

母の逝去以降に初めて見つけた時には、申し訳ない気持ちと、あまりの絹地の美しさに、感動の涙を流しました。相当な金額のするこれらの着物を、自身のものに消費するのを抑え、コツコツ貯めてローンを組んで揃えてくれていた……。自分の事にはお金をかけず、子供らのためなら、と。無我の想いが最も大きいのが“日本の母親たち”なのかもしれません。母たちから伝わるこれら民族的・土着的な「家族への想い」、そのかげで実は、最大に寛容なのが、もしかすると“日本の父親たち”なのかもしれません。深謝。

伝統文化の紹介

本質

衣装・衣服、老舗店、俳優、ダンサー、芸術家
科学者、農林漁業、職人……
時間と労力を要する技
短期間では作り出せない
大切な記憶……